スタッフAです。
今回は困難に直面した時の向き合い方について。

当たり前のように「困難」と言う言葉を使いましたが、
改めて考えると困難とは何を指すのか、答えるのは難しいものです。

ひとまずWebで検索してみましたが、
あまり僕の論旨に都合がいいものでもなかったので、
それは無視することにします。

僕は、困難とは「状態」であると考えています。

「困難」を構成する「実体」があり、
それに対する「印象」によって「困難」という状態が形成されているということです。

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恐らく皆さん僕の文章を理解することに困難を極めていると思いますが、

ひとまず説明します。

例えば期限間近の大量の資料作成のタスクを振られ、
徹夜を繰り返さなければならない、という「困難」の場合。

ここでいう「実体」は、
「徹夜必至のボリュームを持った、期限間近の資料作成タスク」、
あるいは「そのタスクに当たらなければならない状況」です。

それに対して「徹夜はしんどいな」とか
「大量過ぎてめんどくさいな」と言った「印象」を持つことで「困難」状態が形成されます。

極端な例を言えば、
「3度の飯より資料作成が大好き!寝る間も惜しんで資料作成をしたい!」
というマインドを持った人にとっては、
今回の「実体」は「困難」になり得ないわけです。

実際にそんなマインドを持った人がいたら関わりたくありませんが、
ここで言わんとしているのは、
こちらの「印象」如何に関わらず存在する「実体」があるのならば、
少しでも「印象」を上向かせた方が向き合うのが楽、ということです。

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ここで、「印象」とは感情的な要素であるため、
感情的な手法で対処を試みても解決は難しく、
論理的な切り口で崩していく必要があると考えています。

飽くまで主観を加えずデジタル的に「実体」を捉え、
「ボリュームがこのくらいだから想定作業時間はこのくらいで…」
「他の人の業務状況はこのくらいだからこの部分を依頼して…」
「ここは共通している部分があるから作業をまとめて実施して…」と、
ひたすら無心で切り崩していくのがおすすめです。

「印象」をまとった「実体」は実像以上に大きく見えるものですので、
まずは向き合っている「困難」がどんなものなのか、
しっかり理解することが大切ではと考えています。

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ここまで僕なりの「困難」への向き合い方を述べてきました。

上述のような向き合い方を心がけてきたおかげで、
僕は、これまでどんな困難に見舞われても、

 

「夜中一人で残ったオフィスで奇声をあげながらバランスボールを蹴り飛ばす」
くらいで治まっています。

「印象」を取っ払った「実体」が「印象」以上に強大だった場合には、
ひとまず考えるのをやめます。

皆さんも是非お試しください。

こちらからは以上です。

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